花街の本場草津節と三味線

今回は「草津よいとこ一度はおいで」で全国的に知られる群馬県草津の民謡草津節(チョイナ節)の歴史ついてお話しします。講師の藤本秀康が地元の草津節と出会ったのは昭和59年。初代家元藤本琇丈師の意向で草津の芸妓組合の専属師匠として赴任した際、芸者衆によって受け継がれてきた民謡を学んだことがきっかけです。草津では熱い温泉を水で薄めると薬効も薄くなるので、湯を揉んで一定の温度に引き下げて入浴したことから、唄ばやしが望まれるようになったといいます。

 

草津民謡の生みの親というべき方は明治30年に生まれた金緑竹寿(かねみどりたけじゅ)姐さんです。明治45年に上京し、大塚の花街で芸妓の修行をして数え年の19歳の春、東京から帰って芸妓に出ました。竹寿姐さんは湯もみ唄の雰囲気の面白さに感興を覚え、節廻しを整理して三味線を付け、間拍子に「チョコチョイ」という囃子を入れて原型ができました。座敷唄としてもてはやされ、たちまち各浴場で唄われ、いつしか囃子も「チョイナチョイナ」に落ち着き、当時客の口を通じて次第に全国に広がっていきました。

 

草津民謡の節廻しは時代とともに変化し、2つのおもむきを持つに至っています。当時唄われていた正調に対して、洋楽的な東京風のものがあります。唄い出しの「くさつ」は、正調のものは「くさーつ」と「さー」をのばすのに対し、東京風は「くさつ」と短調につめて唄います。唄ばやしの部分も、歌い手が唄う東京風に対し、竹寿姐さんのものは三味線方か、別の人が囃します。何が正調草津節かは諸説あると思いますが、三味線の名手で美声の竹寿姐さんによってお座敷唄の体裁をなし、草津花街で唄い継がれてきた節廻しを基本とするのが正調と言えるでしょう。

 

東京・神田の藤本秀康三味線教室ではこうした正調草津節のほか、「草津湯もみ唄」など現地の民謡について深く学ぶことができます。